- 貧困街は貧困と意味のない暴力であふれている
- 私は親もこの町も嫌いだ
- 父子家庭で無所得家庭なのに大学にいこうとする
- 大学と仕事つらくてオーストラリアへ渡豪
- 大学卒業するも新卒ボーナスなし
- まかない付きの飲食業で貯金を貯める
- 毎月10万円を貯金する
- 結婚は絶対にしないと決めていた
- 居候というスキル
- インターネットで知り合った夫
- 貧困街から抜け出す秘策
- まとめ
貧困街は貧困と意味のない暴力であふれている
私がまだ子供だった頃というのは、今から45年前です。貧困街では「マッチョイムズ(男らしさ)」が男性達の間では、非常に大切なことでした。ですから、小学校の同級生のお父さんと、私のお父さんの肩と肩がぶつかっただけでも、「なんじゃ~!ワレ~!」と、つかみ合いの喧嘩がはじまるような地域でした。
「喧嘩=男らしさ」という、昭和の貧困街ならではの醜さでした。また、貧困街では、お父さんは何か分からない仕事についていたり、お母さんは水商売に従事していたりして、小学校の女子でさえ5~6年生になると「○○君とS〇Xした夢を見た」などと言っていました。
そして、当時は「リンチ」という名の人の命を奪いかねない暴行が中学生が行っていたり、かみそりで同級生や下級生の顔や体を切り刻むような激しい暴行が中学生の間で繰り広げられていた時代でした。
ですから、私の近所の同級生も何人か少年院に入っていきました。
私は親もこの町も嫌いだ
私は父子家庭で育ちましたが、父もちょくちょく警察に捕まるような人でした。ですから、私自身も少年院に入るような人間になってもおかしくなかったと思います。
ですが、私は周囲の人間を俯瞰して見ていて、「ああはなりなくない。」と思っていました。どうして、そう思ったのかは定かではありません。ですが、思いあたる節としては、私は貧困がゆえに学校に着ていく洋服がなく、学校にあまり行っていませんでした。
家で、ずっと昭和の昼ドラなど大人の出ているテレビ番組を、ずっと見ていました。昭和の昼ドラというのは「女性が苦労して苦労して、最終的には安定した生活をつかんでいく。」というものが多かったように思います。そのようなドラマを見ていて、「私も頑張れば(苦労すれば)、まともな生活になれるかもしれない。」と刷り込まれたのかもしれません。
父子家庭で無所得家庭なのに大学にいこうとする
父子家庭で、親が働いていないということは、我が家は無収入です。無収入の家庭の子供が大学になど行けるはずがありません。ですが、無知というのは怖いもので、私はあまりにも常識がなさすぎて、親に収入がなくても大学に行けると思っていたのです。
「働いて学費と生活費を稼げば何とかなるっしょ!」
その程度の感覚でした。そして、国立大学に入学したのでした。
ですが、国立大学の勉強は非常に難しく、仕事も朝5時に起きて出勤し、夜は大学寮の門限である0時、ギリギリに帰るような生活でした。
あまりのつらさに、何度大学をやめようと思ったか分かりません。
大学と仕事つらくてオーストラリアへ渡豪
働きながら大学、しかも勉強が非常にむつかしい「国立大学」に通うということは、私にとっては、ある時期から地獄に変わっていきました。大学の中でも、勉強についていけない、人間関係が上手くいかないなどの理由で退学していく学生も何人かいました。
そんな中で私は退学はしたくないけれど、大学から逃げ出したい。そこで、かっこよく「大学から逃げる方法」として、「海外で働く」という言い訳を思いつきました。
ワーキングホリデービザという、働きながら海外を観光できるビザを取得して、「オーストらりで働くんだよ~。」という言い訳を作って、オーストラリアに1年間逃亡したのです。
もちろん、お金はありませんから、オーストラリアに行っても働き詰めです。ですが、大学がないぶん、いくぶんか楽でした。オーストラリアで大学と仕事の両立から逃げで1年間、ビザが切れるのと同時に日本に帰りました。
大学卒業するも新卒ボーナスなし
何とか大学は卒業したものの、オーストラリアに行くためのお金を作るために1年休学して、1年オーストラリアに行っており、元々夜間大学で5年コースだったため、卒業までに合計7年かかってしまいました。さらには、その頃は、もうすでに就職難で、卒業までに7年もかかり、学力も高くない私が大手企業に就職できるはずもありませんでした。
まかない付きの飲食業で貯金を貯める
私個人としては当初はデスクワークをしたかったのですが、当時は診断名が付いていなかったのですが50歳くらいにADHDであることが判明しました。デスクワークをやるとなぜかミスを連発するのは何故なんだろうと悩んでいたため、ADHDの診断名を付けてもらったことで、納得と安心を得ました。
あの頃、「私は何かが欠落している。」と感じていたのは、ADHDからくる「集中力の欠如」「作業の遅さ」からくるものだったのです。
デスクワークが困難だと分かってからは、まかない付きの飲食店でずっと働いていました。まかない付きですと食費が必要ないので、給与は家賃とそのた日用品に使えば良いだけです。ですから、それなりに貯金ができました。
貧困街から抜け出す際に、親も含めて全ての人達と縁を切って町を出たので、頼れる人は大学や会社で出会った人ばかり。ですが、大学や会社で出会った方々は35年過ぎた今でも、友人として寄り添ってくれています。
「人間、必死に頑張っている人を応援しないほと冷たくはない。」それが、私が人生の中で得た教訓です。
毎月10万円を貯金する
この件については別の記事にも書きましたが、35年前は風呂なしの2万円くらいのアパートがそれなりの件数ありました。私は生活費を最低限に抑えるために、風呂なしのアパートに住み、髪の毛は台所で洗い、体は濡れたタオルで拭くような生活をしていました。
元々、貧困街の出身です。私の家族などは1か月に1回もお風呂に入らないような人達でしたので、瞬間湯沸かし器で2日に1回、髪の毛を洗えるだけでも極楽でした。
1か月に10万円貯金すれば、1年で120万円、10年で1200万円貯金できるという簡単な算数です。
身寄りのない私が、頼れるのはお金のみでした。父は19歳で亡くなり、母は私は幼稚園の頃、父の暴力や警察沙汰で離婚してしまっていました。そんな私が、頼れるのはお金だけと思うのは必然的なことです。
結婚は絶対にしないと決めていた
私の母は、ちょくちょく暴力沙汰や警察沙汰を起こす父とさっさと離婚してしまいました。大人になって母親の所在が分かり母親に会うようになると、私に「早く結婚しなさい」と言ってきました。
「で、お母さんは結婚して幸せだったの?」と聞くと、「相手さえ良ければ幸せになれるのよ!」と、言い返されました。「お母さんも、いい人だと思って結婚したんじゃないの?」と尋ねると、「母さんはおばあちゃんが、この人と結婚しなさいと言ったから結婚しただけ。男の人を好きだと思ったことは一回もない。」と言われました。
母親の言っていることが、めちゃくちゃすぎて、「私は不幸になるリスクが少しでもある以上は、結婚は絶対にしない。」と、母親の愚かさを目の当たりにしてなおさら思ったのでした。
居候というスキル
外国では「ルームシェア」という、他人と共同生活をする仕組みが一般的です。自室はありますが、トイレ、お風呂、キッチンは共同といった形で、公共の場の掃除などはみんなでやったり、当番でやったりするのが一般的です。
外国でそんな生活をする前から、私は時々友達に「うちにおいでよ。」と言われ、3か月~1年ほど、居候(いそうろう)することがしばしばありました。家賃、光熱水費は友達が出してくれて、私はゴロゴロしながらテレビなどを見て、友達の帰ってくる時間にご飯を作って待っているという生活です。誤解のないように言っておきますが、居候させてくれた友達の多くは女友達です。
公務員などになると、初の勤務地は僻地になることも多く「さみしい」という理由で、居候させてくれる女友達が何人かいたのです。
インターネットで知り合った夫
居候スキルを持つ私は、インターネットゲームで知り合った男性と、軽い気持ちで関東でルームシェアを始めました。当時、私は関東までドアtoドアで7時間くらいかかる地方都市に住んでいましたから、関東と言えば、大都会です。
ですが、大学時代の友達も関東に何人か上京していたので、「上京組の友達の近くに住める!」という、軽い気持ちで、地方から関東に引っ越してきました。
最初は賃貸で、ゲームで知り合った男性とルームシェアしていたのですが、そのうちにその男性が夫となりました。夫には貯金がほとんどなかったので、私の貯金を幾分か頭金にして、関東の住みたい街ランキング上位の町に家を買いました。夫は私の資金力に感謝してくれていました。ですが、良い立地に家を買ったとはいえ、生活の質は上げていません。
貧困街から抜け出す秘策
貧困街から抜け出す秘策は、一言で言えば「教育」「文化的資本」です。高い教育を受けられるか、ちょっとフランス料理を食べに行っても、きちんとしたマナーで食べられるか、といったようなことで、出会う人達が格段に変わってきます。
もし、高い教育を受ける機会がなくても、フランス料理の食べ方が分からなくても、「私、貧しい層の出身だから、色々分からないから教えて。」と素直に言えるかどうかで、人としての信頼や覚悟が問われるのだと思います。
貧困街に生まれたのは、あなたのせいではありません。ですから、何も恥じる必要はありませんし、見栄を張る必要もありません。「私は運悪く貧困層に生まれたので、中流以上の方々が知っていることを知りません。ですから、教えてください。」と言われて、教えてくれないほど、人は不親切ではありません。
もし、それであざ笑うような人がいたとしたら、その人が意地悪で性格が悪いだけです。
まとめ
貧困層から抜け出すには、違法でない正攻法の生き方を勉強すること、それが全てです。貧困層では小中学生の頃から、反社会勢力が気概のある子供たちを青田買いしがちです。ですが、その「気概」を反社会的勢力に尽くすことに使うのではなく、国立大学に行くなどの、正攻法に使うことが、大きく将来を変えるのです。
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